Day5 Indonesian Transport
今日は7時ごろに起きた。
昨日から移住してきたことを地区の管理人に簡単な挨拶を済まし、
ファンディと交通機関を使い出勤した。
次からは1人で使わなければいけないんだな。
使い方やルール、目印などを教えてもらった。
おそらく寝過したらおしまいだろう。
行き方は、
徒歩5分
コベル(自転車付荷車)5分3,000Rupiah
アンコット06(無停留所式暴走中型自動車)20分〜40分3,000Rupiah
アンコット112orD1 15分〜30分
徒歩5分
スクールバス(学内循環式大型乗合自動車)15〜25分
もしくは
オジェッ(目的地選択式危険自動自転車)約10分
道を覚えるだけでも一苦労だが、注意点をたくさん教えてもらった。
基本的におつりは求めないと返ってこないこと(使えるのは10,000Rupiahまでで、細かいお金はモール等で作らなければならない)。
おつりを求める時は、コンバリニャ クーランと言う。
ターミナルはバスから降りてくる人を狙った犯罪があること。
携帯やカメラなど貴重品はあまりちらつかせないこと。
目印となる建物があまりなく地名もあいまいなこと。
一般人には話しかけず、主要スポットにいる警察に頼ること。
などなど。
何とか行きの街並みは大体覚えられた。
今日の活動報告を書きながら、同僚と盛り上がった。
滋賀大学アイセックから応援メッセージのムービーが土井から送られてきて一緒に見た。
しかしインドネシアのネット回線は非常に遅く、途中までしか見られなかった。
同僚はあと10年かかると笑いながら言っていた。
それとインドネシアの天候について。
12月〜2月は雨期で、ジャカルタの各地では洪水が起こっているようだ。
雨雲が流れてオーストラリアに流れオールトラリアで洪水が起きたりすることもあるらしい。
どちらかが天候がよく安全で、もう片方が最悪で危険。興味深い話だった。
話で盛り上がっている間にファニアが到着した。
今日は予定していたポテトドーナッツ産業は忙しいらしく別のところにアポを取ってくれた。
今日は農家連合の調査だ。
かなり外れにあり交通機関は通っていないため車で迎えに来てもらった。
途中で収穫物を輸送する手続きを見せてもらい、引き続き向かった。
道もジャングルのようで整備があまりされていない。
途中はごみ山がありヤギがごみをあさっていた。
日本のようにまだごみを処理する能力がないらしい。
あまりに空気が悪いため車内でもマスクをした。
2時間ほどかけ農家に着いた。
メインの生産物は牛肉とウズラの卵だ。
ウズラなどと言った単語は知らなかったので、実際に見るまでは何しに行くかよく分かっていなかった。発音も違い、ずっとQuailがホイールと聞こえていて、自動車会社と途中まで勘違いしていた。
農業地帯を見学させてもらったが、本当に開発が遅れていて、出してもたった食事も虫だらけだった。食材も農家ならではといった感覚で様々な食材が使われていた。都会でこうと思うと高い食材(バナナの葉)等も使われていた。
食べ物はしっかり食べることはできているが、逆にそれ以外できないらしい。
今日の分を稼ぐことしか考えられない。
生活や教育の水準は低いが子どもたちは無邪気で楽しそうだった。初めて現地の子供と触れ合えて楽しかった。
そこで農業連合が資金管理や村おこしのサポートをしている。
連合の詳しい内容は活動報告の方に書く。
帰り連合の代表のアンディカさんに帰り道いろいろなことを教えてもらった。
運転免許はタイプがいろいろあり、AとCを見せてもらった。Aは自動車、Cはバイク。
しかし、免許を取るのに300,000Rupiahかかるので、無免許で運転する人も少なくないようだ。確かに街中でも明らかに小学生がバイクを運転しているところを目にする。
インドネシア語とはいっても20種類ほどあり、さらに方言を合わせたら500種類ほどあるらしい。ファニアは今日分からなかった言葉もあったようだ。
南国で常に温かいがフルーツにも時期があるらしい。
旬のものを食べれば安くてうまい。
今度買いに行ってみよう。
他にも豊富な原油資源や薬の開発力の低さなどいろいろ語っていただいた。
オフィスに戻ったが今日も時間が全然なく、戻ってから1時間ほどで英語と日本語のレポートを書きあげた。
その間も同僚に話しかけられこの前はせいじ“しーじー”でいじられたが、今度は“たかしむら”といじられた。
意味はI’ll give you a tip。
今日は私が1番遅くまで仕事をしていた。
アンディカさんとファニアは終わるまで待っていてくれ、ホームステイまで送ってくれることとなった。
しかし、夜になって覚えていたはずの道も全然分からなくなった。
はじめてインドネシアで迷ったとぼやかれたが2人の御蔭で無事に戻ることができた。
今日1日本当に迷惑をかけてしまった、レポートで挽回しよう。
「また、劣悪な環境で生活か、引っ越したいな。」等と思ったが、
いつまでも甘えてばかりもいられないので、異なる文化の元の生活になれるように努力しようと決意した。迷惑かけにしたわけじゃない、貢献しに来たのだとポジティブに考え直した。
ホストファミリーが英語をしゃべれないなら、インドネシア語を鍛えるチャンスだ。
言葉で通じなければ肌で感じ合えばいい。
蕁麻疹が出たことで、話のネタが一つ増えた。
むしろ蕁麻疹でよかった。
質素に暮らせばお金が節約できる。
日本で食べられない食べ物もいっぱい食べられる。インドネシアには十分に食事すらできない人も多いはずだ。
こう考えたら、むしろ昨日の自分が悪いように感じた。
生活に十分にゆとりがあるわけではないのに受け入れてくれた恩人になんてことを思っているんだ。最低な人間だ。
こんなに親切にしてくれているじゃないか。
昨日はカルチャーショックを受けて正常な思考ができなかったのだろうな。
今日はトイレもお風呂も歯磨きもそんな問題には思わなくなった。
明日は中国の新年祭で祝日。
特別な日なのでみんなそれぞれの予定があるし、明日は自分ひとりで頼らず出かけることにしよう。
初めての事をするのには勇気がいりなかなか踏み出せないが、インドネシアに来てから一歩ずつが軽くなった気がした。
そんな一日だった。
昨日から移住してきたことを地区の管理人に簡単な挨拶を済まし、
ファンディと交通機関を使い出勤した。
次からは1人で使わなければいけないんだな。
使い方やルール、目印などを教えてもらった。
おそらく寝過したらおしまいだろう。
行き方は、
徒歩5分
コベル(自転車付荷車)5分3,000Rupiah
アンコット06(無停留所式暴走中型自動車)20分〜40分3,000Rupiah
アンコット112orD1 15分〜30分
徒歩5分
スクールバス(学内循環式大型乗合自動車)15〜25分
もしくは
オジェッ(目的地選択式危険自動自転車)約10分
道を覚えるだけでも一苦労だが、注意点をたくさん教えてもらった。
基本的におつりは求めないと返ってこないこと(使えるのは10,000Rupiahまでで、細かいお金はモール等で作らなければならない)。
おつりを求める時は、コンバリニャ クーランと言う。
ターミナルはバスから降りてくる人を狙った犯罪があること。
携帯やカメラなど貴重品はあまりちらつかせないこと。
目印となる建物があまりなく地名もあいまいなこと。
一般人には話しかけず、主要スポットにいる警察に頼ること。
などなど。
何とか行きの街並みは大体覚えられた。
今日の活動報告を書きながら、同僚と盛り上がった。
滋賀大学アイセックから応援メッセージのムービーが土井から送られてきて一緒に見た。
しかしインドネシアのネット回線は非常に遅く、途中までしか見られなかった。
同僚はあと10年かかると笑いながら言っていた。
それとインドネシアの天候について。
12月〜2月は雨期で、ジャカルタの各地では洪水が起こっているようだ。
雨雲が流れてオーストラリアに流れオールトラリアで洪水が起きたりすることもあるらしい。
どちらかが天候がよく安全で、もう片方が最悪で危険。興味深い話だった。
話で盛り上がっている間にファニアが到着した。
今日は予定していたポテトドーナッツ産業は忙しいらしく別のところにアポを取ってくれた。
今日は農家連合の調査だ。
かなり外れにあり交通機関は通っていないため車で迎えに来てもらった。
途中で収穫物を輸送する手続きを見せてもらい、引き続き向かった。
道もジャングルのようで整備があまりされていない。
途中はごみ山がありヤギがごみをあさっていた。
日本のようにまだごみを処理する能力がないらしい。
あまりに空気が悪いため車内でもマスクをした。
2時間ほどかけ農家に着いた。
メインの生産物は牛肉とウズラの卵だ。
ウズラなどと言った単語は知らなかったので、実際に見るまでは何しに行くかよく分かっていなかった。発音も違い、ずっとQuailがホイールと聞こえていて、自動車会社と途中まで勘違いしていた。
農業地帯を見学させてもらったが、本当に開発が遅れていて、出してもたった食事も虫だらけだった。食材も農家ならではといった感覚で様々な食材が使われていた。都会でこうと思うと高い食材(バナナの葉)等も使われていた。
食べ物はしっかり食べることはできているが、逆にそれ以外できないらしい。
今日の分を稼ぐことしか考えられない。
生活や教育の水準は低いが子どもたちは無邪気で楽しそうだった。初めて現地の子供と触れ合えて楽しかった。
そこで農業連合が資金管理や村おこしのサポートをしている。
連合の詳しい内容は活動報告の方に書く。
帰り連合の代表のアンディカさんに帰り道いろいろなことを教えてもらった。
運転免許はタイプがいろいろあり、AとCを見せてもらった。Aは自動車、Cはバイク。
しかし、免許を取るのに300,000Rupiahかかるので、無免許で運転する人も少なくないようだ。確かに街中でも明らかに小学生がバイクを運転しているところを目にする。
インドネシア語とはいっても20種類ほどあり、さらに方言を合わせたら500種類ほどあるらしい。ファニアは今日分からなかった言葉もあったようだ。
南国で常に温かいがフルーツにも時期があるらしい。
旬のものを食べれば安くてうまい。
今度買いに行ってみよう。
他にも豊富な原油資源や薬の開発力の低さなどいろいろ語っていただいた。
オフィスに戻ったが今日も時間が全然なく、戻ってから1時間ほどで英語と日本語のレポートを書きあげた。
その間も同僚に話しかけられこの前はせいじ“しーじー”でいじられたが、今度は“たかしむら”といじられた。
意味はI’ll give you a tip。
今日は私が1番遅くまで仕事をしていた。
アンディカさんとファニアは終わるまで待っていてくれ、ホームステイまで送ってくれることとなった。
しかし、夜になって覚えていたはずの道も全然分からなくなった。
はじめてインドネシアで迷ったとぼやかれたが2人の御蔭で無事に戻ることができた。
今日1日本当に迷惑をかけてしまった、レポートで挽回しよう。
「また、劣悪な環境で生活か、引っ越したいな。」等と思ったが、
いつまでも甘えてばかりもいられないので、異なる文化の元の生活になれるように努力しようと決意した。迷惑かけにしたわけじゃない、貢献しに来たのだとポジティブに考え直した。
ホストファミリーが英語をしゃべれないなら、インドネシア語を鍛えるチャンスだ。
言葉で通じなければ肌で感じ合えばいい。
蕁麻疹が出たことで、話のネタが一つ増えた。
むしろ蕁麻疹でよかった。
質素に暮らせばお金が節約できる。
日本で食べられない食べ物もいっぱい食べられる。インドネシアには十分に食事すらできない人も多いはずだ。
こう考えたら、むしろ昨日の自分が悪いように感じた。
生活に十分にゆとりがあるわけではないのに受け入れてくれた恩人になんてことを思っているんだ。最低な人間だ。
こんなに親切にしてくれているじゃないか。
昨日はカルチャーショックを受けて正常な思考ができなかったのだろうな。
今日はトイレもお風呂も歯磨きもそんな問題には思わなくなった。
明日は中国の新年祭で祝日。
特別な日なのでみんなそれぞれの予定があるし、明日は自分ひとりで頼らず出かけることにしよう。
初めての事をするのには勇気がいりなかなか踏み出せないが、インドネシアに来てから一歩ずつが軽くなった気がした。
そんな一日だった。
Day4 Start the internship!
今日も7時半頃に起きた。
しかし、インドネシアに来てから毎日ホストファミリー達と遅くまで話をしたり、毎日日記を書いたり、英語やインドネシア語の勉強をしたりで5時間以上寝られた日がまだない。
最悪の目覚めだった。
でも今日は引っ越しの日。今のホストファミリーは一昨日中国人の研修生も受け入れたため、僕が違うホストファミリーのところへ行くことになった。
荷物をまとめて、ホストマザーに感謝の挨拶をした。
インドネシアにいる間はいつでも遊びに来てほしいと言ってくれた。
ホストマザーの仕事もSMEのサポートでUKMセンターと似たような仕事をしていて昨日も飛行機で別の島まで会議に行ったらしい。マザーの話は今後研修していくうえで非常に参考になった。
今日はドライバーがいなかったので、ルディアとタクシーで大学へ向かった。
タクシーはインドネシアでも高く、呼んだら5,000Rupiahから500Rupiahずつ加算されていく。
25,000Rupiahくらいかかった。ちなみに昨日バイクを使って帰った時は1人8,000Rupiahだった。
今日はUKMセンターでの本格的な研修開始日だ。
火曜と水曜は基本的に9時に出社で10時までに企業訪問に行くことになった。
今日の会社はハンドメイドの人形を創るCHAMPERNIQUEという企業。
同僚のバイクに乗せてもらい企業へ向かった。
インドネシアの道路はほとんど信号がないがその代わりに、道に小山があり減速するようになっている。狭い商店街などはかなり多くの凸がある。
その企業はそのような街の中にあったので、距離は短いが30分近くかかった。
初企業訪問で緊張したが社長のアハマドさんはとてもフレンドリーで温かく迎えてくれた。
広くはないが建物の中には3人の従業員と、たくさんの商品が並べてあった。
インドネシアのこのような小さな会社や商店街は、自宅の一部分を使っていることが多い。
当社もそうだった。
企業の詳細等はUKMセンターに出す日報で書くので割愛する。
企業訪問の大まかな流れは、
挨拶
簡単な説明
質疑応答
企業見学
写真撮影
質疑応答
挨拶
といった感じだった。質問は完全に自由なので、約2時間にわたり多くの質問ができてよかった。
しかしかなり同僚のファンディに助けてもらった。
やはり日本の中小企業とは大きく性質が違い、改善点の提案も簡単にはできなさそうだ。
アハマドさんとほくろのおじさんに帰りはバイクに乗せてもらい、最寄り駅へ向かったが、あいにく途中から大雨に遭った。
インドネシアは今雨季に当たる時期でどんなに晴れている日でも突然の雨が1日に1・2回程度降る。大体1時間もすればやむことが多い。天気予報はあてにならない。
途中で雨宿りしながら日本の貧民層について語った。
20分後雨がやんだのでアハマドに別れを告げ駅に向かった。
駅の近くにある橋の下には伝統的なで店が並んでいた。駅構内にもあふれんばかりの店がある。多くが貧しい日お立ちによるものなので、かなり治安が悪い。
写真や携帯は基本的に使ってはいけないしバッグも前に抱える必要がある。
中でも興味深かったのは、電車が発車してからもたくさんの売り子が飴やフルーツやアクセサリーやライターを売りに来たことだ、中には歌を歌いながらチップを求める人がいた。
電車は10年ほど前に使っていたものを輸入して使っているようだ。ただしドアは常にあいている。
首都圏の地下鉄のように人であふれかえった電車を降り、急な雨に備えるため傘を買った。
傘を買うにしても嵐のような雨に耐えられるようなものはなかなか売っていない。
3件目でやっといいものがみつかり35,000rupiahで買った。
オフィスに戻り、ファニアと遅めの昼食sate(焼き鳥をアーモンドソースで和えたもの)を食べた。非常においしくご飯が進んだ。
今日初レポートを書こうとしたところ私のデスクが一時撤去されていたので、副社長室で作業する事になった。
パソコンをネットにつなげられるか試してみたが、何度してもつながらなかった。
このまま3ヶ月間日本とほとんど連絡できず過ごすことになるかもしれないと思い、不安が高まった。
UKMセンターのスタッフ総出になってつなげる努力をしてくれたため、使えるようになった。
今日はUKMセンターの業務内容についてレポートを書いた。
3時に引っ越しの予定時間があり時間が全然なく、約2時間で英語と日本語のレポートを終わらせた。
ボックスでルディアを待ちながらアイセックフレンドを増やした。
それにしてもやっぱりジョーは優しい。今日もこまめにメールをくれた。
しばらくしてルディアと新しいホストファミリーのファンディの所へ向かった。
ファンディの英語は少しなまりがきつく聞き取りづらかったが、フランス語が専門で外国語に興味があることもあって、日本語が少し喋れた。少しうれしかった。
ファンディの家までタクシーで向かうがかなり田舎で非常に蚊が多かった。
極端に言ったらスラム街の中の増しな家といった印象だった。
研修先までの地図を書いてもらったが交通機関を4つも使わなければならなく、まだインドネシアで一人だけで交通機関を使いこなせたことがない私は、今後が非常に心配になった。
ファンディ以外ほとんど英語がしゃべれないというのもかなり問題だ。
マナーに対しても日本とは違い指摘される。
インドネシアに来てから、アレルギーと水が合わないせいで今朝から蕁麻疹がではじめた。
その上今日からこの環境で生活しなければいけない。
蚊に刺されるし、質素で、狭いし、臭いし、言葉通じないし。
正直絶望だった。
ルディアの家に戻りたかった。明日にでも戻りたかった。
ついついアイセックメンバーに愚痴ってしまった。
ヒステリックを起こしたようなメールを送り、電話をした。
ジョウとポール優しく、気にかけてくれ。
もししんどくなったら自分の家で一緒に住もうと言ってくれた。
気分は最悪だったが、とりあえず生き残ることを考えなければ。
歯磨きも今日から、タブーとされている蛇口の水からすることになった。
洗濯機もうまく機能しないので、手洗いに近い形で毎日自分でやることになった。
日本と比較したらきりがないな。
明日から少しでもコミュニケーションをとれるようになるため、遅くまでインドネシア語の基礎を勉強し始めた。
今日はぐっすり眠れそうにないな。
日本の曲でも聞きながら心を落ち着けよう。
負けるな成治!
しかし、インドネシアに来てから毎日ホストファミリー達と遅くまで話をしたり、毎日日記を書いたり、英語やインドネシア語の勉強をしたりで5時間以上寝られた日がまだない。
最悪の目覚めだった。
でも今日は引っ越しの日。今のホストファミリーは一昨日中国人の研修生も受け入れたため、僕が違うホストファミリーのところへ行くことになった。
荷物をまとめて、ホストマザーに感謝の挨拶をした。
インドネシアにいる間はいつでも遊びに来てほしいと言ってくれた。
ホストマザーの仕事もSMEのサポートでUKMセンターと似たような仕事をしていて昨日も飛行機で別の島まで会議に行ったらしい。マザーの話は今後研修していくうえで非常に参考になった。
今日はドライバーがいなかったので、ルディアとタクシーで大学へ向かった。
タクシーはインドネシアでも高く、呼んだら5,000Rupiahから500Rupiahずつ加算されていく。
25,000Rupiahくらいかかった。ちなみに昨日バイクを使って帰った時は1人8,000Rupiahだった。
今日はUKMセンターでの本格的な研修開始日だ。
火曜と水曜は基本的に9時に出社で10時までに企業訪問に行くことになった。
今日の会社はハンドメイドの人形を創るCHAMPERNIQUEという企業。
同僚のバイクに乗せてもらい企業へ向かった。
インドネシアの道路はほとんど信号がないがその代わりに、道に小山があり減速するようになっている。狭い商店街などはかなり多くの凸がある。
その企業はそのような街の中にあったので、距離は短いが30分近くかかった。
初企業訪問で緊張したが社長のアハマドさんはとてもフレンドリーで温かく迎えてくれた。
広くはないが建物の中には3人の従業員と、たくさんの商品が並べてあった。
インドネシアのこのような小さな会社や商店街は、自宅の一部分を使っていることが多い。
当社もそうだった。
企業の詳細等はUKMセンターに出す日報で書くので割愛する。
企業訪問の大まかな流れは、
挨拶
簡単な説明
質疑応答
企業見学
写真撮影
質疑応答
挨拶
といった感じだった。質問は完全に自由なので、約2時間にわたり多くの質問ができてよかった。
しかしかなり同僚のファンディに助けてもらった。
やはり日本の中小企業とは大きく性質が違い、改善点の提案も簡単にはできなさそうだ。
アハマドさんとほくろのおじさんに帰りはバイクに乗せてもらい、最寄り駅へ向かったが、あいにく途中から大雨に遭った。
インドネシアは今雨季に当たる時期でどんなに晴れている日でも突然の雨が1日に1・2回程度降る。大体1時間もすればやむことが多い。天気予報はあてにならない。
途中で雨宿りしながら日本の貧民層について語った。
20分後雨がやんだのでアハマドに別れを告げ駅に向かった。
駅の近くにある橋の下には伝統的なで店が並んでいた。駅構内にもあふれんばかりの店がある。多くが貧しい日お立ちによるものなので、かなり治安が悪い。
写真や携帯は基本的に使ってはいけないしバッグも前に抱える必要がある。
中でも興味深かったのは、電車が発車してからもたくさんの売り子が飴やフルーツやアクセサリーやライターを売りに来たことだ、中には歌を歌いながらチップを求める人がいた。
電車は10年ほど前に使っていたものを輸入して使っているようだ。ただしドアは常にあいている。
首都圏の地下鉄のように人であふれかえった電車を降り、急な雨に備えるため傘を買った。
傘を買うにしても嵐のような雨に耐えられるようなものはなかなか売っていない。
3件目でやっといいものがみつかり35,000rupiahで買った。
オフィスに戻り、ファニアと遅めの昼食sate(焼き鳥をアーモンドソースで和えたもの)を食べた。非常においしくご飯が進んだ。
今日初レポートを書こうとしたところ私のデスクが一時撤去されていたので、副社長室で作業する事になった。
パソコンをネットにつなげられるか試してみたが、何度してもつながらなかった。
このまま3ヶ月間日本とほとんど連絡できず過ごすことになるかもしれないと思い、不安が高まった。
UKMセンターのスタッフ総出になってつなげる努力をしてくれたため、使えるようになった。
今日はUKMセンターの業務内容についてレポートを書いた。
3時に引っ越しの予定時間があり時間が全然なく、約2時間で英語と日本語のレポートを終わらせた。
ボックスでルディアを待ちながらアイセックフレンドを増やした。
それにしてもやっぱりジョーは優しい。今日もこまめにメールをくれた。
しばらくしてルディアと新しいホストファミリーのファンディの所へ向かった。
ファンディの英語は少しなまりがきつく聞き取りづらかったが、フランス語が専門で外国語に興味があることもあって、日本語が少し喋れた。少しうれしかった。
ファンディの家までタクシーで向かうがかなり田舎で非常に蚊が多かった。
極端に言ったらスラム街の中の増しな家といった印象だった。
研修先までの地図を書いてもらったが交通機関を4つも使わなければならなく、まだインドネシアで一人だけで交通機関を使いこなせたことがない私は、今後が非常に心配になった。
ファンディ以外ほとんど英語がしゃべれないというのもかなり問題だ。
マナーに対しても日本とは違い指摘される。
インドネシアに来てから、アレルギーと水が合わないせいで今朝から蕁麻疹がではじめた。
その上今日からこの環境で生活しなければいけない。
蚊に刺されるし、質素で、狭いし、臭いし、言葉通じないし。
正直絶望だった。
ルディアの家に戻りたかった。明日にでも戻りたかった。
ついついアイセックメンバーに愚痴ってしまった。
ヒステリックを起こしたようなメールを送り、電話をした。
ジョウとポール優しく、気にかけてくれ。
もししんどくなったら自分の家で一緒に住もうと言ってくれた。
気分は最悪だったが、とりあえず生き残ることを考えなければ。
歯磨きも今日から、タブーとされている蛇口の水からすることになった。
洗濯機もうまく機能しないので、手洗いに近い形で毎日自分でやることになった。
日本と比較したらきりがないな。
明日から少しでもコミュニケーションをとれるようになるため、遅くまでインドネシア語の基礎を勉強し始めた。
今日はぐっすり眠れそうにないな。
日本の曲でも聞きながら心を落ち着けよう。
負けるな成治!
Day3 Introduction of UKM center
今日は初めて研修先に行く日だ。
7時半頃に起き身支度を整えた。
キャロルと朝ごはんを食べた。
インドネシア人の家族同士はめったに一緒に食事をしないらしい。
ごはんもすぐ食べ終わる。
キャロルはほぼ同時に研修が始まったはずなのに、先輩のようにいろいろ教えてくれる。
ルディアいわくインドネシア人より交通機関を使いこなしているらしい。
ルディアが少し寝坊して、8時半過ぎに車で家を出た。
朝から相変わらずすごい交通量だ。途中で降り一人でバスを使うキャロルがすごくたくましく見えた。
30分くらいで大学に着いた。
第一印象はとにかく広いということ。
キャンパス間はバスで移動する。
建物も一個一個が大きく美しかった。
ルディアと一緒に車を降り、クラブルームに向かった。
早速2人のアイセックメンバーに会い、握手を交わし自己紹介した。
アイセックのネットワークを肌で感じた。
インドネシア人にとって成治は少し発音が難しいみたいだ。
昨日も散々シージー(俗語で1)といじられた。
数分後に今日1日お供してくれるJOEが来てくれた。
JOEはインドネシア人だが何となくのびた君に似ていて親近感がわいた。
研修先のUKMセンターはクラブルームから徒歩3分程度のとてもいい場所にあった。
マネジャーと担当者と話をし、団体紹介・施設紹介・同僚紹介を受け
ボスとしゃべり
タイムラインを担当者と作った。
まだまだ英語は十分に理解できず、考えも上手く伝わらず、これからの研修でやっていけるか不安だった。
火曜・水曜企業訪問・調査
出社した日は名前を記入し毎日、英語・日本語それぞれのレポート1ページ以上社長と担当者たちに送る。
おおざっぱな2月の計画が立った。UKMはかなりフレキシブルな団体らしい。
レポート書く際に、ニーズは何か、どんなサポートができるか、どうしたら企業が生き残れるかをしっかり押さえるのがポイント。その上でSWOT分析等の手段を用いる。
これらのレポートは6周年記念の本にもなるので責任重大だ。
明日の9:00出社で、10:00から訪問することになった
1日目は11時くらいに終わり
そこからジョーとショッピングモールに行った。
インドネシアでは交通の便などから携帯は必須なので、安いものを購入した。
昼時になったので、ショッピングモールのフードコーナーで、ミー(ラーメン)と肉団子スープのセットを頼んだ。
待っている間ジョーの買ってくれたカプチーノを飲んだが甘く、マイルドでびっくりするほどおいしかった。
ミーもかなりおいしくあっという間に食べてしまった。よほど今までの食事が合わなかったのだろう。
食事後は、服とズボンを買った。
というのも、仕事中はボタン付きのシャツでなければいけないと言われ、かつ気温が高いのに長袖のシャツしかなかったからだ。
服を買うにしても、日本との違いがあった。安い服は徹底的に縫い目などをチェックする。
百貨店はレジに行く前に係りの人に記録を書いてもらってから、それを持ってレジで支払いを済ます。
物価は日本よりやや安く、手頃な物が買えた。
1日移動しながら、いろんなところで写真を撮っていたらジョーに注意された。
施設内は大丈夫だが、それ以外の場所だとスリなどに狙われるから、基本的につかってはいけないといわれた。
ジャカルタは所得格差が激しく、治安が非常に悪い。人口が多いため日本では機械化されているものも人がやり、様々な種類の仕事がある。スリもその仕事のうちの1つだ。
そういったバックグラウンドもあって、ショッピングモールへの出入りもチェックが入る。
車に対しては、金属探知と爆弾等がないか荷物検査。
入場客に対しては、風貌、恰好などで判断される。例えば制服やタンクトップの人は出入りが禁止される。
モールからクラブルームまでは、ジョーの授業の時間が迫っていたので、バイクで戻った。
バイク版タクシーのようなもので、道路をちょこまか動き、揺れや風はひどい。
前髪を逆立てながらクラブルームに戻った。
結局ジョーの授業はキャンセルになったので、大学のあらゆる施設を紹介してもらった。
学内のカフェ、学内バスの乗り方、文学部の図書館、体育館、エンジニアリング学科、経済学科、会計学科等々。ジョウは見た目がちょっと抜けている印象だが、まじめでかなり親切だ。1日でずいぶん大学の事を知ることができた。
ジョウは会計学科だったので、一緒にパソコン室に行って、インドネシアの会社の財務諸表を一緒に見た。会計処理が日本と少し違っていたり、税率は法人税がずいぶん低かったり、資本金が断然少なかったり、財務諸表を見ただけでもかなりあらゆる違いを見つけることができた。また国際会計基準にシフトしつつあり、監査も厳しくなってきているらしい。
インドネシアはアメリカとの取引は活発ではなく、関税の低い中国などが中心である。そのためリーマンショックのダメージはあまりなかったらしく、現在、食品や農業を中心とした中小企業が成長している。これが現在インドネシアの成長している要因のうちのひとつだろう。
こうして言語が違っても、会計の話で盛り上がることができるようになっていた自分に気づきうれしかった。
アイセックUIメンバーは約85名程度で、会計専攻しているメンバーが1番多いらしい。この環境を活かし、これからもディスカッションをしかけていきたい。
パソコン室で担当者のMethaに初めて会った。研修実現までずっとお世話になっていたため、直接感謝を伝えることができてよかった。
他にもアイセックのクラブルームでルディアを待ちながら、いろんなアイセックメンバーと知り合った。インドネシア人は日本人よりもはるかにフレンドリーで、初対面の人に対してはとにかく相手の事を知ろうとする。
出身は?委員会は?研修は?住まいは?文化は?目的は?など。
あらゆるものに対して疑問を持ち、興味を持つ。
一つ一つをしっかりと聞いてくれるので話すのも楽しい。
話している間にあっという間に17時になりルディアが授業から戻ってきた。
彼女はミーティングがあったのでその間、バリ島以来の1人で探検した。
インドネシア語が使えないと値段の書いてない店で商品を買うのは苦労する。
ジェスチャーで何とか買うことのできたジュースの味は格別だった。
生活していくうえで現地の数字を覚えることは必須であると感じた。
今日はミニバスとバイクで帰った。
ミニバスは日本のものとは少し違っていて、バス停はなく、降りたくなったら”kiri bang”と言ったら道にとめてくれる。
驚いたのはそこだけでなく、バスの性能の悪いこと(扉すらない)、客を寄せるために街中にクラクションが響き渡ること、いきなりバイオリンを持った人が走っているバスに飛び乗ってきて演奏を始めること、様々な驚きがあった。
バスに乗ったら次はバイクに乗り換えた。大学内でも乗ったがいっそうクオリティは下がる。非常に危険なのに加え、長時間乗っていたらのどが排気ガスで悪くなる。
頭の中がカルチャーショックで混乱しながら帰って来た。
ホストファミリーのギターの演奏を聴きながら夕食を食べた。
インドネシアの食事は気温が高く食物が傷みやすいので、揚げた食べ物が多く野菜も少ない。意識的にとっていく必要がある。
それが原因か少し便秘気味だ。おそらくもう一つの要因は、トイレにペーパーがないことだ。一般的には手で処理する。
そのためインドネシアでは左手は不浄の手とされ、食事や握手の時はあまり使わない。
このカルチャーショックをみんなに伝えたいがインターネット環境がないので、伝えられないのが残念だ。ホストファミリーのものを借りても、当たり前だが日本語は打てない。
見てくれている人がいないとしても、この貴重な経験を毎日蓄積していきたい。
明日は初の企業調査だ。
ほんとに分析やアドバイスを私なんかができるのだろうか。
いずれにせよインドネシアの企業がどのようなものなのかは、非常に興味深い。
しっかり明日に備えて寝よう。
しかし、明日は研修4日目にして引っ越しが待っている。
せっかく親密に慣れてきたのに残念だ。
自分が初めて海外で生活した部屋を目に焼き付けてから寝た。
明日は今までつけてきた力を試すいい機会だ。
アグレッシブに行こう!
7時半頃に起き身支度を整えた。
キャロルと朝ごはんを食べた。
インドネシア人の家族同士はめったに一緒に食事をしないらしい。
ごはんもすぐ食べ終わる。
キャロルはほぼ同時に研修が始まったはずなのに、先輩のようにいろいろ教えてくれる。
ルディアいわくインドネシア人より交通機関を使いこなしているらしい。
ルディアが少し寝坊して、8時半過ぎに車で家を出た。
朝から相変わらずすごい交通量だ。途中で降り一人でバスを使うキャロルがすごくたくましく見えた。
30分くらいで大学に着いた。
第一印象はとにかく広いということ。
キャンパス間はバスで移動する。
建物も一個一個が大きく美しかった。
ルディアと一緒に車を降り、クラブルームに向かった。
早速2人のアイセックメンバーに会い、握手を交わし自己紹介した。
アイセックのネットワークを肌で感じた。
インドネシア人にとって成治は少し発音が難しいみたいだ。
昨日も散々シージー(俗語で1)といじられた。
数分後に今日1日お供してくれるJOEが来てくれた。
JOEはインドネシア人だが何となくのびた君に似ていて親近感がわいた。
研修先のUKMセンターはクラブルームから徒歩3分程度のとてもいい場所にあった。
マネジャーと担当者と話をし、団体紹介・施設紹介・同僚紹介を受け
ボスとしゃべり
タイムラインを担当者と作った。
まだまだ英語は十分に理解できず、考えも上手く伝わらず、これからの研修でやっていけるか不安だった。
火曜・水曜企業訪問・調査
出社した日は名前を記入し毎日、英語・日本語それぞれのレポート1ページ以上社長と担当者たちに送る。
おおざっぱな2月の計画が立った。UKMはかなりフレキシブルな団体らしい。
レポート書く際に、ニーズは何か、どんなサポートができるか、どうしたら企業が生き残れるかをしっかり押さえるのがポイント。その上でSWOT分析等の手段を用いる。
これらのレポートは6周年記念の本にもなるので責任重大だ。
明日の9:00出社で、10:00から訪問することになった
1日目は11時くらいに終わり
そこからジョーとショッピングモールに行った。
インドネシアでは交通の便などから携帯は必須なので、安いものを購入した。
昼時になったので、ショッピングモールのフードコーナーで、ミー(ラーメン)と肉団子スープのセットを頼んだ。
待っている間ジョーの買ってくれたカプチーノを飲んだが甘く、マイルドでびっくりするほどおいしかった。
ミーもかなりおいしくあっという間に食べてしまった。よほど今までの食事が合わなかったのだろう。
食事後は、服とズボンを買った。
というのも、仕事中はボタン付きのシャツでなければいけないと言われ、かつ気温が高いのに長袖のシャツしかなかったからだ。
服を買うにしても、日本との違いがあった。安い服は徹底的に縫い目などをチェックする。
百貨店はレジに行く前に係りの人に記録を書いてもらってから、それを持ってレジで支払いを済ます。
物価は日本よりやや安く、手頃な物が買えた。
1日移動しながら、いろんなところで写真を撮っていたらジョーに注意された。
施設内は大丈夫だが、それ以外の場所だとスリなどに狙われるから、基本的につかってはいけないといわれた。
ジャカルタは所得格差が激しく、治安が非常に悪い。人口が多いため日本では機械化されているものも人がやり、様々な種類の仕事がある。スリもその仕事のうちの1つだ。
そういったバックグラウンドもあって、ショッピングモールへの出入りもチェックが入る。
車に対しては、金属探知と爆弾等がないか荷物検査。
入場客に対しては、風貌、恰好などで判断される。例えば制服やタンクトップの人は出入りが禁止される。
モールからクラブルームまでは、ジョーの授業の時間が迫っていたので、バイクで戻った。
バイク版タクシーのようなもので、道路をちょこまか動き、揺れや風はひどい。
前髪を逆立てながらクラブルームに戻った。
結局ジョーの授業はキャンセルになったので、大学のあらゆる施設を紹介してもらった。
学内のカフェ、学内バスの乗り方、文学部の図書館、体育館、エンジニアリング学科、経済学科、会計学科等々。ジョウは見た目がちょっと抜けている印象だが、まじめでかなり親切だ。1日でずいぶん大学の事を知ることができた。
ジョウは会計学科だったので、一緒にパソコン室に行って、インドネシアの会社の財務諸表を一緒に見た。会計処理が日本と少し違っていたり、税率は法人税がずいぶん低かったり、資本金が断然少なかったり、財務諸表を見ただけでもかなりあらゆる違いを見つけることができた。また国際会計基準にシフトしつつあり、監査も厳しくなってきているらしい。
インドネシアはアメリカとの取引は活発ではなく、関税の低い中国などが中心である。そのためリーマンショックのダメージはあまりなかったらしく、現在、食品や農業を中心とした中小企業が成長している。これが現在インドネシアの成長している要因のうちのひとつだろう。
こうして言語が違っても、会計の話で盛り上がることができるようになっていた自分に気づきうれしかった。
アイセックUIメンバーは約85名程度で、会計専攻しているメンバーが1番多いらしい。この環境を活かし、これからもディスカッションをしかけていきたい。
パソコン室で担当者のMethaに初めて会った。研修実現までずっとお世話になっていたため、直接感謝を伝えることができてよかった。
他にもアイセックのクラブルームでルディアを待ちながら、いろんなアイセックメンバーと知り合った。インドネシア人は日本人よりもはるかにフレンドリーで、初対面の人に対してはとにかく相手の事を知ろうとする。
出身は?委員会は?研修は?住まいは?文化は?目的は?など。
あらゆるものに対して疑問を持ち、興味を持つ。
一つ一つをしっかりと聞いてくれるので話すのも楽しい。
話している間にあっという間に17時になりルディアが授業から戻ってきた。
彼女はミーティングがあったのでその間、バリ島以来の1人で探検した。
インドネシア語が使えないと値段の書いてない店で商品を買うのは苦労する。
ジェスチャーで何とか買うことのできたジュースの味は格別だった。
生活していくうえで現地の数字を覚えることは必須であると感じた。
今日はミニバスとバイクで帰った。
ミニバスは日本のものとは少し違っていて、バス停はなく、降りたくなったら”kiri bang”と言ったら道にとめてくれる。
驚いたのはそこだけでなく、バスの性能の悪いこと(扉すらない)、客を寄せるために街中にクラクションが響き渡ること、いきなりバイオリンを持った人が走っているバスに飛び乗ってきて演奏を始めること、様々な驚きがあった。
バスに乗ったら次はバイクに乗り換えた。大学内でも乗ったがいっそうクオリティは下がる。非常に危険なのに加え、長時間乗っていたらのどが排気ガスで悪くなる。
頭の中がカルチャーショックで混乱しながら帰って来た。
ホストファミリーのギターの演奏を聴きながら夕食を食べた。
インドネシアの食事は気温が高く食物が傷みやすいので、揚げた食べ物が多く野菜も少ない。意識的にとっていく必要がある。
それが原因か少し便秘気味だ。おそらくもう一つの要因は、トイレにペーパーがないことだ。一般的には手で処理する。
そのためインドネシアでは左手は不浄の手とされ、食事や握手の時はあまり使わない。
このカルチャーショックをみんなに伝えたいがインターネット環境がないので、伝えられないのが残念だ。ホストファミリーのものを借りても、当たり前だが日本語は打てない。
見てくれている人がいないとしても、この貴重な経験を毎日蓄積していきたい。
明日は初の企業調査だ。
ほんとに分析やアドバイスを私なんかができるのだろうか。
いずれにせよインドネシアの企業がどのようなものなのかは、非常に興味深い。
しっかり明日に備えて寝よう。
しかし、明日は研修4日目にして引っ越しが待っている。
せっかく親密に慣れてきたのに残念だ。
自分が初めて海外で生活した部屋を目に焼き付けてから寝た。
明日は今までつけてきた力を試すいい機会だ。
アグレッシブに行こう!
Day2 Football game♪
前日遅かったのもあり9時ごろ起床。
朝も気温はさほど変わらない。そのため、寝る時に布団を使わない人も多いようだ。
不思議な感覚だった。
聞こえるのは小鳥のさえずりではなく、ムスリムの礼拝の声だ。
ホストマザーと家政婦さんとあいさつし、インドネシアでの初めての食事をした。
朝のメインは食パンにチョコを乗せたものでおかずは何種類もあり非常に豪華だ。
驚いていたら、インドネシアの家庭によっては朝と昼と夜の御飯の大きな違いはないところもあると教えてもらった。
スプーンでおいしく頂いた。機内食よりはずいぶんマシだったがやはり独特の味とスパイシーさはあった。
昨日迎えに来てくれた二人はまだ寝ていた。朝弱い人は世界共通でいるのかな。
日記を書いていたら、アマルがバタバタっと起きてきた。
今日は友達とサッカーの試合をしに行くらしい。家にいても退屈なので、一緒させてもらうことにした。
昨日、日本VSオーストラリアのアジアカップで熱狂だった。合う人会う人サッカーの話をする。
友達と家から1時間ほどのショッピングモールで落ち合い、少し会話をしてからみんなで移動した。10人ぐらいいたが英語を話せるのは3人だけで、それ以外の人とは単語レベルでしか話ができなかった。
中でもよく話に上がったのは、ラルクやドラえもんやほかほか弁当。日本でももちろん有名だが、私にとっては意外だった。
下ネタも世界共通で盛り上がるようだ。
移動中いつも行っているはずのサッカー場までの道に迷い、行きは結局1時間半くらいかかった。とにかくただジャカルタとは言え面積は広く、移動に驚くほどの時間を割く。その間絶え間なく会話が続く。理解はほとんどできないが、道に迷ってもそれを話のタネに終始楽しそうに話していた。
日本人よりもお互いについての深い話をし、親密な関係が気づかれているように感じた。
やっとサッカー場に着いた。室内競技場とはいっても日本の体育館のようではなく反屋外コートのような形だ。そこからの景色は良く遠くに山も見えた。インドネシアは年中緑でいっぱいで見晴らしがいいところはとても癒される。
隣は水泳場で、何か催しをしていた。様々なインドネシア語の歌が聞こえてきた。
アマルが初対面の人ばかりだからプレイはしない方が良いといわれて来たが、想像以上に打ち解けていて、「アジアカップができる」と盛り上がっていた。
とめられた時に運動着を置いてきた自分を悔いた。
この時大げさかもしれないが、せっかく海外に来たのだからこれからは機会は逃がすまいと思った。
各々アップをし、コーチの指示があった後早速キックオフ。
私はアマルから紹介されたサリと一緒に観戦をした。
審判付きで本格的な試合だった。
試合の合間にどう?と聞かれた。インドネシアに来てからいろいろなことに対し意見を求められるようになった。
ただの遊びできているのにファイティングスピリッツを感じた。とにかく力強かった。
試合を見ながらサリとインドネシアのラーメンを食べた。
サリは一つ年上でご飯もおごってくれ、インドネシアのことをいろいろ教えてくれた。お姉さんのように優しかった。(お姉さんはいないが。)
食べ終えてコートに戻ったら、
彼女のことは好きなのかだとか、キスキス等とからかわれた。からかい方が無邪気で微笑ましかった。
試合後に筋肉がつくと言われるパラという食べ物を食べたが、生姜に砂糖をかけたような味で、めちゃくちゃまずかった。その姿を見てみんな大爆笑だった。
ただ試合を見ていた1日だったが、いろんな人となれない言語で話し続けたのでかなり充実感を感じた。帰りは車でウトウトしていたらみんな黙って気を使ってくれた。
アマルの友達は気がきく良いやつばかりだ。
着いて行ってよかった。
ショッピングモールで友達達と別れを告げ車に戻ったら、目の前に車が止まって動けなかった。仕方なく前の車を押し、移動させてから帰宅した。
休日だったせいか駐車場は車が通るところ以外は注射するところでないところも車で埋め尽くされていた。
帰りはアマルとお互いの経済の違いについて話し合った。
ハイテクな商品(自動車やパソコンなど)のシェアは日本と似ているようだった。
帰宅し夕食を食べているときに、中国からの新しいインターンシップ生と会った。
彼女の英語名はキャロルで中国では周。
今日からウーディド家でホームステイするらしい。
その関係で私は明後日もう引っ越さなければならなくなった。
まだ全くインドネシアにも慣れていないのに。
やっとテリマカシー(ありがとう)だけ言えるようになったくらいだ。
今日も最後に慣れないお風呂に戸惑いながらも、1日が終わった。
明日初めての出勤だ。
UKMセンターはアイセックの委員会がある大学内にあるので、おそらく別のアイセックメンバーにも会えるだろう。
明日が楽しみだ。
明日はとにかくフレンドリーに行こう!
朝も気温はさほど変わらない。そのため、寝る時に布団を使わない人も多いようだ。
不思議な感覚だった。
聞こえるのは小鳥のさえずりではなく、ムスリムの礼拝の声だ。
ホストマザーと家政婦さんとあいさつし、インドネシアでの初めての食事をした。
朝のメインは食パンにチョコを乗せたものでおかずは何種類もあり非常に豪華だ。
驚いていたら、インドネシアの家庭によっては朝と昼と夜の御飯の大きな違いはないところもあると教えてもらった。
スプーンでおいしく頂いた。機内食よりはずいぶんマシだったがやはり独特の味とスパイシーさはあった。
昨日迎えに来てくれた二人はまだ寝ていた。朝弱い人は世界共通でいるのかな。
日記を書いていたら、アマルがバタバタっと起きてきた。
今日は友達とサッカーの試合をしに行くらしい。家にいても退屈なので、一緒させてもらうことにした。
昨日、日本VSオーストラリアのアジアカップで熱狂だった。合う人会う人サッカーの話をする。
友達と家から1時間ほどのショッピングモールで落ち合い、少し会話をしてからみんなで移動した。10人ぐらいいたが英語を話せるのは3人だけで、それ以外の人とは単語レベルでしか話ができなかった。
中でもよく話に上がったのは、ラルクやドラえもんやほかほか弁当。日本でももちろん有名だが、私にとっては意外だった。
下ネタも世界共通で盛り上がるようだ。
移動中いつも行っているはずのサッカー場までの道に迷い、行きは結局1時間半くらいかかった。とにかくただジャカルタとは言え面積は広く、移動に驚くほどの時間を割く。その間絶え間なく会話が続く。理解はほとんどできないが、道に迷ってもそれを話のタネに終始楽しそうに話していた。
日本人よりもお互いについての深い話をし、親密な関係が気づかれているように感じた。
やっとサッカー場に着いた。室内競技場とはいっても日本の体育館のようではなく反屋外コートのような形だ。そこからの景色は良く遠くに山も見えた。インドネシアは年中緑でいっぱいで見晴らしがいいところはとても癒される。
隣は水泳場で、何か催しをしていた。様々なインドネシア語の歌が聞こえてきた。
アマルが初対面の人ばかりだからプレイはしない方が良いといわれて来たが、想像以上に打ち解けていて、「アジアカップができる」と盛り上がっていた。
とめられた時に運動着を置いてきた自分を悔いた。
この時大げさかもしれないが、せっかく海外に来たのだからこれからは機会は逃がすまいと思った。
各々アップをし、コーチの指示があった後早速キックオフ。
私はアマルから紹介されたサリと一緒に観戦をした。
審判付きで本格的な試合だった。
試合の合間にどう?と聞かれた。インドネシアに来てからいろいろなことに対し意見を求められるようになった。
ただの遊びできているのにファイティングスピリッツを感じた。とにかく力強かった。
試合を見ながらサリとインドネシアのラーメンを食べた。
サリは一つ年上でご飯もおごってくれ、インドネシアのことをいろいろ教えてくれた。お姉さんのように優しかった。(お姉さんはいないが。)
食べ終えてコートに戻ったら、
彼女のことは好きなのかだとか、キスキス等とからかわれた。からかい方が無邪気で微笑ましかった。
試合後に筋肉がつくと言われるパラという食べ物を食べたが、生姜に砂糖をかけたような味で、めちゃくちゃまずかった。その姿を見てみんな大爆笑だった。
ただ試合を見ていた1日だったが、いろんな人となれない言語で話し続けたのでかなり充実感を感じた。帰りは車でウトウトしていたらみんな黙って気を使ってくれた。
アマルの友達は気がきく良いやつばかりだ。
着いて行ってよかった。
ショッピングモールで友達達と別れを告げ車に戻ったら、目の前に車が止まって動けなかった。仕方なく前の車を押し、移動させてから帰宅した。
休日だったせいか駐車場は車が通るところ以外は注射するところでないところも車で埋め尽くされていた。
帰りはアマルとお互いの経済の違いについて話し合った。
ハイテクな商品(自動車やパソコンなど)のシェアは日本と似ているようだった。
帰宅し夕食を食べているときに、中国からの新しいインターンシップ生と会った。
彼女の英語名はキャロルで中国では周。
今日からウーディド家でホームステイするらしい。
その関係で私は明後日もう引っ越さなければならなくなった。
まだ全くインドネシアにも慣れていないのに。
やっとテリマカシー(ありがとう)だけ言えるようになったくらいだ。
今日も最後に慣れないお風呂に戸惑いながらも、1日が終わった。
明日初めての出勤だ。
UKMセンターはアイセックの委員会がある大学内にあるので、おそらく別のアイセックメンバーにも会えるだろう。
明日が楽しみだ。
明日はとにかくフレンドリーに行こう!
Day1 Arrival
ついに今日出国。
前日は準備で忙しく結局あまり眠れなかったが、目は冴えていた。
8時前に実家を出てタクシーを使い名古屋駅に行った。
(海外出国の交通手段としてVISAカードを使った場合、自動で死亡保険などの海外保険が利用できるようになる。)
名鉄電車で中部国際空港行きのミュースカイという特急で空港を目指した。
9時前に着きそのままExchengerへ両替に向かう。
空港で両替をするとかなり手数料が取られてしまうが、
インドネシアの両替商はマジックのようにだまされると聞いていたため、そのリスク回避のためと思いあえてそうした。
レートは手数料を含め
1円=0.133Rp.(ルピア)だった。
そこで
5万円を約360万Rp.に両替した。
両替を終え、空港内の海外保険の手続きに向かった。
東京海上や三井住友等もあったが、AIUの3万9500円のプランにした。
決め手は安さ(93日間に対して)と
キャッシュフリーで現地の医療が受けられることだ。
(現地で指定の番号に連絡で、医療機関等の紹介もある。)
保険の手続きは約3分程度で済んだ。
手続きが終わり、見送りに来てくれた友達と駅で落ち合った。
大学1年以来の再開で激励しに来てくれた友達に心が躍った。
研修内容を友達に話すことで自分自身がこれからやることの再確認となる。
インドネシアのジャカルタの中にある機関で、
そこと関係している中小企業に対してSWOT分析をし、問題を見つけ出し、
毎週それのレポートをする。
それをまとめ上げて最終報告をする。
といった内容だ。
他にもP-boxというものにも招待されていて、
そこでは日本の学生で起業する人についてのプレゼンテーションを独自の視点で発表するというものにも挑戦する。
友達と熱い握手を交わし、別れを告げた後で
受付へ向かった。
キャディーバッグ(20kg)を預け、空港をぶらつきながらお世話になった先生、アイセックメンバー、ゼミ生にメールを送った。
メールを打ちながらこんな素晴らしい挑戦の機会がもらえたことを誇りに感じた。
苦難が待ち受けているかもしれないが、まあ何とかなるだろう。
手荷物(7kg)検査を通過し、とうとう飛行機に乗った。
CAやPilotはほとんどインドネシア人で日本語があまり使えなく、異質な感じだった。
ただデンパザール(バリ島)行きだったので乗客は日本人ばっかりだった。
海外へ行くのは初体験でましてや1人で行ったことはないので、
胸の高鳴りは増す一方だ。急に実感がわいた。
飛行機が離陸した瞬間、もう後戻りはできないと腹をくくった。
普段飛行機に乗る機会がないので、上空から見る景色に感動した。環境破壊が嘆かれる昨今であるが、澄んだ海や緑いっぱいに広がる大地を見たらまだ捨てたものではないと思った。それとともに空中から大地を見下ろす光景から、地球は人間が制覇しているように感じた。
ガルーダインドネシア航空のサービスは上々で
約7時間の飛行の間5回程度のジュースのサービスと、水とオレンジジュースの配給、機内食等が付いてきた。この機内食が最後の日本食となった。
日本食とはいっても味付けは日本のものと少し違うような気がした。
飛行機の中で気づいたことを何点か書く。
日本国内でもよく感じることだが、ほとんどの日本人は日本語しか話したがらない。飛行機でCAとコミュニケーションがとれなくても日本語で話し通す人がほとんどだった。この精神が日本人の英語力の低下につながっているのかもしれない。日本人が英語しゃべれないことが原因かわからないがCAに英語で話しかけたら、日本語で返された。日本人乗客との接し方もドライだった。
気づいた点の中でも感心したのはジェスチャーの有用性だ。機内の安全装備の説明は乗客にジェスチャーで伝えられた。それだけなく上映された映画の内容はドッキリ企画で言葉がなくてもみんなが楽しめるようなものだった。
初めての経験が多かったので落ち着く間もなくデンパサール空港(バリ島デンパサール)へ到着した。
旅行プランは11時発、17時着だったが時差が1時間あるため約7時間の飛行となった。
初めての海外への第一歩。
緊張感・不安感と好奇心・期待感が入り混じる。
ただ身体は軽かった。
空港に降りた直後、早速1つ目の関門に差し掛かった。
入国審査である。
案内が英語ばかりだったので道に迷いながらカウンターに到着した。
英語で記入漏れを指摘され、滞在先の住所は知らなかったため書けなかった。
不法入国になるかと思い汗びっしょりで英語で説明したら許可が下りた。
一人で旅をするとちょっとしたことでもあわててしまう。
次に税関を通過するために、預けた荷物を取りに行ったら荷物のそばに知らないインドネシア人が立っていた。彼が先導してくれたため税関はすんなりと通れた。
しかし手続きが終わっても彼は私から離れようとしない。
空港のスタッフで案内してくれたものかと思いきや、チップを請求してきた。
その時持っていた一番小さいお金(20,000Rupiah)も払ってしまった。
税関を出ると、10人ぐらいの声が聞こえてきた。
そこには10店舗ほどの両替商があり、両替をしてくれと大声で通る人通る人に声をかけていた。空港内から出ても、「タクシータクシー!」「社長!」などとタクシーの運転手から声をかけられた。
そんな道を歩きながらコンビニに向かった。
着いた時の気温は約30度。何もしなくても汗が流れる。水分補給だ。
初めての買い物はフルーツジュースと店員お勧めのチーズパンだ。
ちょうど小腹もすいていたのでちょうど良かった。インドネシア人のフレンドリーさが微笑ましかった。
タクシーの運転手の目を避け、パンをほおばりながら、これからの予定を考えた。
ジャカルタへの直行便ではなかったので、デンパサールから出発する21時までバリで過ごす必要があったからだ。
時計がほしい!
持ってきた時計が動かなくなってしまったので、時計を買いに行くことに決めた。
その決断があとで後悔するとは考えてもいなかった。
お土産屋さんをまわるも時計がなかったので、店員さんに聞いたら、少し行ったところにあると教えてもらったので、その指をさした方に歩きだした。
交通量が非常に多く、道を渡るにも一苦労だった。
ノープランでただ指した方向を歩いて行ったら、案の上迷ってしまった。
迷っているところに、一人のピアスの男が追いかけてきた。
英語で時計が買いたいと説明するが、インドネシア語しかできないようでなかなか伝わらず、その間に別の男達も集まってきた。体格のいい人・ピアス・刺青の男に囲まれて質問攻めに遭い、何とかそのうちの英語が少し伝わる人に伝わり、連れてもらえることになった。
金額も”one hundred”と言われたので「安っ!」と思い安心した。
人は見かけではないんだな。
刺青の入った非常に筋肉質な男とお互い伝わらない会話をひとり言のようにし続けた。
途中祭りみたいなものがやっていたので降りたいと言っても伝わらなかった。
時計屋はなかなか遠く片道20分くらいかけて店まで移動した。
どんどん遠くに行くので心配がどんどん高まった。
「死ぬのか俺?」とまで思った。
種類が豊富な店で選ぶのに戸惑ったが、なにせ言葉が伝わらないので、とりあえずアディダスの時計を指差した。
1,850,000Rupiahと言われたので、やはりアディダスは高いと思い、別のものがいいと言ったが、認めてもらえなかった。いくらなら買うと聞かれたので、50,000Rupiahと時計の予算を答えたら店主とドライバーの目の色が変わった。
インドネシア語で罵声のようなものを浴びせられ、ヒステリックになった。
必死に謝りなだめ、もう一度値段交渉に戻った。
お金があまりないことを主張し続けたら最終的に400,000Rupiahまで下げることに成功した。車に戻ってからドライバーに値段下げすぎだと怒られた。
チップを持って謝りに行ってくれた。
値段交渉の時のとり乱しぶりが怖く、非常に疲れたので空港に戻ってもらうことにした。
空港にまた20分程度かけて戻りながらドライバー感謝を伝えた。
そうしないといけない。危ないと思った。
降りる時に100円分(10,000Rupiah)だけ置いて帰ろうとしたらまた目の色が変わった。
“one million Taxi!!!”と急な請求をされた。しかも片道分だという。
値段交渉して下げてはもらったものの手持ちのお金はほとんどなくなってしまった。
見かけどおりだった。
時間は早かったが空港へチェックインすることにした。少しでも早く安全な場所へ行きたかった。
ゆるい荷物検査を通り、空港使用税を払い空港内に入った。
暑いし、恐いし、目立つし、臭いし、もう帰りたくなった。
帰るのすら怖かった。
Wi-Fiもソフトバンクの人に聞いた通りに使ってもつながらなかったし、海外でポツーンと取り残されたような気分になった。
ああ憂鬱だ。
とにかく二度とこのようなことがないように地球の歩き方を熟読した。
後ろの方に空港のスタッフらしき人のこと、タクシーのことは書いてあった。
なんて素晴らしい本だ。
アイセックからの資料の読み込みに徹していた自分を悔いた。
海外で行動するときは焦らず、情報を得てからにすべきだと痛感した。
搭乗の時間になり、ゲートに行ったら、受付していなかった。
急遽変更になったようだ。
日本ではこんなことめったにないだろう。
ゲートに並びなおしたら、天使のささやきが聞こえた。
日本人だ。
マシンガンのように、今日あったことを話した。
彼女達に慰めてもらい、いろいろ教えてもらった。
彼女達は大学の卒業旅行に来ていたらしい。
彼女達と飛行機に搭乗し別れを告げ、再び一人になった。
飛行機は21時出発で到着地時間の22時頃着。時差が1時間だから2時間程度。
機内で初めてのインドネシア料理を食べた。
感想は辛くて脂っぽさがありスパイシーでまずかった。
機内食に悪戦苦闘している間にスカルノハッタ空港(ジャワ島ジャカルタ)に着いた。
空港から出ようとしたら止められ、違法入国者が連れて行かれる事務所に連れて行かれた。
「終了。」と思っていたら、爽やかな好青年が呼び出され、私を連れて行くことになった。
単純に出る場所が違ったようで、楽しく会話しながら、空港を出ることができた。
彼の周りは明るい人たちばかりで私の旅立ちに妙に盛り上がった。彼はチップもなしでバス停まで連れて行ってくれた。
事前に聞いていたパザールミングという地名を頼りに、直通バスに乗った。
先ほども書いたが、インドネシアの道路は車でごった返しているので、車との距離が5センチくらいのことはいっぱいある。
4車線でも6車線走っていたり、信号がなかったり、安全確認なしで路線変更したり、乗車中に出発したり、バスが100キロ以上で走ったり、ゲームセンターのレーシングゲームを想像させた。
パザールミングに着いたころには、日付が変わっていた。
降りたのは良いものの、アイセックメンバーらしき人はどこにもいない。
アイセックメンバーかと聞いたらそうだと言う人がいたが、バイクに乗せようとするので不審に思った。そもそも物理的に無理である。
住所も分からない。変な人しかいない。言葉が伝わらない。警察に連れて行きたがる。
なんとかi-Phoneで現地のアイセックメンバーと電話ができ、迎えに来てもらえることになったが、一向に来ない。バス停名が分かっていても正確な場所が決まっていないらしい。
場所をインドネシアの人に説明してもらい何とかホストファミリーに1時頃に会えた。
ホストファミリーのアマルとルディアは22歳と21歳で二人とも日本に興味があり、家に着くまで話が途絶えることはなかった。
2時頃にホームステイ先に着き、ホストマザーに挨拶をした。
みんな英語が喋れたので安心した。しかも家は豪邸だった。
挨拶を終え、出してもらったお菓子とお茶で一休みしながら、家の間取りの紹介を受けた。
ルディアにパソコンを借り、生存報告だけ両親に送らせてもらった。
すっかり疲れてしまったので、お風呂を借り、寝ることにした。
お風呂と言ってもトイレと一緒で、湯船はなくシャワーだけ。その上水しか出ない。贅沢は言っていられないので、シャワーで身体を流しながら1日の疲れをとった。
歯磨きは蛇口の水を使うなといろいろな人に言われていたのでミネラルウォーターで歯を磨き、寝支度を整えた。
あまりに疲れていたので、電気を消すとともにおそらく眠ってしまった。
海外では日本では考えられないような問題が簡単に起こる。
今日だけでも何度絶望感を味わっただろう。
日本の常識は世界の常識ではないことを意識しながら、これからも頑張っていこう。
前日は準備で忙しく結局あまり眠れなかったが、目は冴えていた。
8時前に実家を出てタクシーを使い名古屋駅に行った。
(海外出国の交通手段としてVISAカードを使った場合、自動で死亡保険などの海外保険が利用できるようになる。)
名鉄電車で中部国際空港行きのミュースカイという特急で空港を目指した。
9時前に着きそのままExchengerへ両替に向かう。
空港で両替をするとかなり手数料が取られてしまうが、
インドネシアの両替商はマジックのようにだまされると聞いていたため、そのリスク回避のためと思いあえてそうした。
レートは手数料を含め
1円=0.133Rp.(ルピア)だった。
そこで
5万円を約360万Rp.に両替した。
両替を終え、空港内の海外保険の手続きに向かった。
東京海上や三井住友等もあったが、AIUの3万9500円のプランにした。
決め手は安さ(93日間に対して)と
キャッシュフリーで現地の医療が受けられることだ。
(現地で指定の番号に連絡で、医療機関等の紹介もある。)
保険の手続きは約3分程度で済んだ。
手続きが終わり、見送りに来てくれた友達と駅で落ち合った。
大学1年以来の再開で激励しに来てくれた友達に心が躍った。
研修内容を友達に話すことで自分自身がこれからやることの再確認となる。
インドネシアのジャカルタの中にある機関で、
そこと関係している中小企業に対してSWOT分析をし、問題を見つけ出し、
毎週それのレポートをする。
それをまとめ上げて最終報告をする。
といった内容だ。
他にもP-boxというものにも招待されていて、
そこでは日本の学生で起業する人についてのプレゼンテーションを独自の視点で発表するというものにも挑戦する。
友達と熱い握手を交わし、別れを告げた後で
受付へ向かった。
キャディーバッグ(20kg)を預け、空港をぶらつきながらお世話になった先生、アイセックメンバー、ゼミ生にメールを送った。
メールを打ちながらこんな素晴らしい挑戦の機会がもらえたことを誇りに感じた。
苦難が待ち受けているかもしれないが、まあ何とかなるだろう。
手荷物(7kg)検査を通過し、とうとう飛行機に乗った。
CAやPilotはほとんどインドネシア人で日本語があまり使えなく、異質な感じだった。
ただデンパザール(バリ島)行きだったので乗客は日本人ばっかりだった。
海外へ行くのは初体験でましてや1人で行ったことはないので、
胸の高鳴りは増す一方だ。急に実感がわいた。
飛行機が離陸した瞬間、もう後戻りはできないと腹をくくった。
普段飛行機に乗る機会がないので、上空から見る景色に感動した。環境破壊が嘆かれる昨今であるが、澄んだ海や緑いっぱいに広がる大地を見たらまだ捨てたものではないと思った。それとともに空中から大地を見下ろす光景から、地球は人間が制覇しているように感じた。
ガルーダインドネシア航空のサービスは上々で
約7時間の飛行の間5回程度のジュースのサービスと、水とオレンジジュースの配給、機内食等が付いてきた。この機内食が最後の日本食となった。
日本食とはいっても味付けは日本のものと少し違うような気がした。
飛行機の中で気づいたことを何点か書く。
日本国内でもよく感じることだが、ほとんどの日本人は日本語しか話したがらない。飛行機でCAとコミュニケーションがとれなくても日本語で話し通す人がほとんどだった。この精神が日本人の英語力の低下につながっているのかもしれない。日本人が英語しゃべれないことが原因かわからないがCAに英語で話しかけたら、日本語で返された。日本人乗客との接し方もドライだった。
気づいた点の中でも感心したのはジェスチャーの有用性だ。機内の安全装備の説明は乗客にジェスチャーで伝えられた。それだけなく上映された映画の内容はドッキリ企画で言葉がなくてもみんなが楽しめるようなものだった。
初めての経験が多かったので落ち着く間もなくデンパサール空港(バリ島デンパサール)へ到着した。
旅行プランは11時発、17時着だったが時差が1時間あるため約7時間の飛行となった。
初めての海外への第一歩。
緊張感・不安感と好奇心・期待感が入り混じる。
ただ身体は軽かった。
空港に降りた直後、早速1つ目の関門に差し掛かった。
入国審査である。
案内が英語ばかりだったので道に迷いながらカウンターに到着した。
英語で記入漏れを指摘され、滞在先の住所は知らなかったため書けなかった。
不法入国になるかと思い汗びっしょりで英語で説明したら許可が下りた。
一人で旅をするとちょっとしたことでもあわててしまう。
次に税関を通過するために、預けた荷物を取りに行ったら荷物のそばに知らないインドネシア人が立っていた。彼が先導してくれたため税関はすんなりと通れた。
しかし手続きが終わっても彼は私から離れようとしない。
空港のスタッフで案内してくれたものかと思いきや、チップを請求してきた。
その時持っていた一番小さいお金(20,000Rupiah)も払ってしまった。
税関を出ると、10人ぐらいの声が聞こえてきた。
そこには10店舗ほどの両替商があり、両替をしてくれと大声で通る人通る人に声をかけていた。空港内から出ても、「タクシータクシー!」「社長!」などとタクシーの運転手から声をかけられた。
そんな道を歩きながらコンビニに向かった。
着いた時の気温は約30度。何もしなくても汗が流れる。水分補給だ。
初めての買い物はフルーツジュースと店員お勧めのチーズパンだ。
ちょうど小腹もすいていたのでちょうど良かった。インドネシア人のフレンドリーさが微笑ましかった。
タクシーの運転手の目を避け、パンをほおばりながら、これからの予定を考えた。
ジャカルタへの直行便ではなかったので、デンパサールから出発する21時までバリで過ごす必要があったからだ。
時計がほしい!
持ってきた時計が動かなくなってしまったので、時計を買いに行くことに決めた。
その決断があとで後悔するとは考えてもいなかった。
お土産屋さんをまわるも時計がなかったので、店員さんに聞いたら、少し行ったところにあると教えてもらったので、その指をさした方に歩きだした。
交通量が非常に多く、道を渡るにも一苦労だった。
ノープランでただ指した方向を歩いて行ったら、案の上迷ってしまった。
迷っているところに、一人のピアスの男が追いかけてきた。
英語で時計が買いたいと説明するが、インドネシア語しかできないようでなかなか伝わらず、その間に別の男達も集まってきた。体格のいい人・ピアス・刺青の男に囲まれて質問攻めに遭い、何とかそのうちの英語が少し伝わる人に伝わり、連れてもらえることになった。
金額も”one hundred”と言われたので「安っ!」と思い安心した。
人は見かけではないんだな。
刺青の入った非常に筋肉質な男とお互い伝わらない会話をひとり言のようにし続けた。
途中祭りみたいなものがやっていたので降りたいと言っても伝わらなかった。
時計屋はなかなか遠く片道20分くらいかけて店まで移動した。
どんどん遠くに行くので心配がどんどん高まった。
「死ぬのか俺?」とまで思った。
種類が豊富な店で選ぶのに戸惑ったが、なにせ言葉が伝わらないので、とりあえずアディダスの時計を指差した。
1,850,000Rupiahと言われたので、やはりアディダスは高いと思い、別のものがいいと言ったが、認めてもらえなかった。いくらなら買うと聞かれたので、50,000Rupiahと時計の予算を答えたら店主とドライバーの目の色が変わった。
インドネシア語で罵声のようなものを浴びせられ、ヒステリックになった。
必死に謝りなだめ、もう一度値段交渉に戻った。
お金があまりないことを主張し続けたら最終的に400,000Rupiahまで下げることに成功した。車に戻ってからドライバーに値段下げすぎだと怒られた。
チップを持って謝りに行ってくれた。
値段交渉の時のとり乱しぶりが怖く、非常に疲れたので空港に戻ってもらうことにした。
空港にまた20分程度かけて戻りながらドライバー感謝を伝えた。
そうしないといけない。危ないと思った。
降りる時に100円分(10,000Rupiah)だけ置いて帰ろうとしたらまた目の色が変わった。
“one million Taxi!!!”と急な請求をされた。しかも片道分だという。
値段交渉して下げてはもらったものの手持ちのお金はほとんどなくなってしまった。
見かけどおりだった。
時間は早かったが空港へチェックインすることにした。少しでも早く安全な場所へ行きたかった。
ゆるい荷物検査を通り、空港使用税を払い空港内に入った。
暑いし、恐いし、目立つし、臭いし、もう帰りたくなった。
帰るのすら怖かった。
Wi-Fiもソフトバンクの人に聞いた通りに使ってもつながらなかったし、海外でポツーンと取り残されたような気分になった。
ああ憂鬱だ。
とにかく二度とこのようなことがないように地球の歩き方を熟読した。
後ろの方に空港のスタッフらしき人のこと、タクシーのことは書いてあった。
なんて素晴らしい本だ。
アイセックからの資料の読み込みに徹していた自分を悔いた。
海外で行動するときは焦らず、情報を得てからにすべきだと痛感した。
搭乗の時間になり、ゲートに行ったら、受付していなかった。
急遽変更になったようだ。
日本ではこんなことめったにないだろう。
ゲートに並びなおしたら、天使のささやきが聞こえた。
日本人だ。
マシンガンのように、今日あったことを話した。
彼女達に慰めてもらい、いろいろ教えてもらった。
彼女達は大学の卒業旅行に来ていたらしい。
彼女達と飛行機に搭乗し別れを告げ、再び一人になった。
飛行機は21時出発で到着地時間の22時頃着。時差が1時間だから2時間程度。
機内で初めてのインドネシア料理を食べた。
感想は辛くて脂っぽさがありスパイシーでまずかった。
機内食に悪戦苦闘している間にスカルノハッタ空港(ジャワ島ジャカルタ)に着いた。
空港から出ようとしたら止められ、違法入国者が連れて行かれる事務所に連れて行かれた。
「終了。」と思っていたら、爽やかな好青年が呼び出され、私を連れて行くことになった。
単純に出る場所が違ったようで、楽しく会話しながら、空港を出ることができた。
彼の周りは明るい人たちばかりで私の旅立ちに妙に盛り上がった。彼はチップもなしでバス停まで連れて行ってくれた。
事前に聞いていたパザールミングという地名を頼りに、直通バスに乗った。
先ほども書いたが、インドネシアの道路は車でごった返しているので、車との距離が5センチくらいのことはいっぱいある。
4車線でも6車線走っていたり、信号がなかったり、安全確認なしで路線変更したり、乗車中に出発したり、バスが100キロ以上で走ったり、ゲームセンターのレーシングゲームを想像させた。
パザールミングに着いたころには、日付が変わっていた。
降りたのは良いものの、アイセックメンバーらしき人はどこにもいない。
アイセックメンバーかと聞いたらそうだと言う人がいたが、バイクに乗せようとするので不審に思った。そもそも物理的に無理である。
住所も分からない。変な人しかいない。言葉が伝わらない。警察に連れて行きたがる。
なんとかi-Phoneで現地のアイセックメンバーと電話ができ、迎えに来てもらえることになったが、一向に来ない。バス停名が分かっていても正確な場所が決まっていないらしい。
場所をインドネシアの人に説明してもらい何とかホストファミリーに1時頃に会えた。
ホストファミリーのアマルとルディアは22歳と21歳で二人とも日本に興味があり、家に着くまで話が途絶えることはなかった。
2時頃にホームステイ先に着き、ホストマザーに挨拶をした。
みんな英語が喋れたので安心した。しかも家は豪邸だった。
挨拶を終え、出してもらったお菓子とお茶で一休みしながら、家の間取りの紹介を受けた。
ルディアにパソコンを借り、生存報告だけ両親に送らせてもらった。
すっかり疲れてしまったので、お風呂を借り、寝ることにした。
お風呂と言ってもトイレと一緒で、湯船はなくシャワーだけ。その上水しか出ない。贅沢は言っていられないので、シャワーで身体を流しながら1日の疲れをとった。
歯磨きは蛇口の水を使うなといろいろな人に言われていたのでミネラルウォーターで歯を磨き、寝支度を整えた。
あまりに疲れていたので、電気を消すとともにおそらく眠ってしまった。
海外では日本では考えられないような問題が簡単に起こる。
今日だけでも何度絶望感を味わっただろう。
日本の常識は世界の常識ではないことを意識しながら、これからも頑張っていこう。




